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大阪地方裁判所 昭和30年(ヨ)2015号 決定 1956年4月30日

申請人 北中克己

被申請人 京阪神急行電鉄株式会社

主文

申請人の申請はこれを却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

申請の趣旨

被申請人は申請人を被申請人の従業員として取扱い、且つ申請人に対し昭和三〇年九月一〇日以降一ケ月金二九、六一四円の割合による金員を毎月二五日限り支払わなければならない。

理由

当事者双方の提出に係る疏明資料により当裁判所の一応認定した事実関係並にこれに基く判断は次のとおりである。

一、解雇に至る経過

申請人は昭和二四年八月一日被申請会社(以下単に会社ともいう。)の嘱託となり、次いで同二五年一二月一日社員として採用され会社の土地経営部営業課に配属されて受付事務を担当していたものであるが、その後会社の人事首脳部が更迭し後任の人事課長中田大三(昭和二八年三月就任)が申請人の言行からその経歴に不審を抱いて調査したところ、申請人が前記嘱託採用に際し会社に提出した履歴書によれば、最終学歴欄に昭和八年四月中央大学同一三年同大学法学部卒業と記載されているにかかわらず、その頃中央大学に入学も卒業もしていないことが判明した。そこで中田人事課長が同二九年一二月下旬申請人に右学歴相違の点を指摘しその後申請人に対し正しい履歴書を提出するとか辞める等善処方を促していたところ、申請人は同三〇年三月二二日午前一一時四〇分頃中田課長の席に来て「この手紙を読め、読んだら覚悟しておけよ。どたまを割つてやる。」と小林一三宛の手紙を手渡し、中田が「そんな怖い手紙は読めない。返すよ。」と言うと、「いや読め。今日は留置場に入る覚悟でズボンも換えて来た。弁護料も持つて来た。傷害罪で告訴すればよい。」と脅して中田に手紙を読ませ、中田が一読して返すといきなり右拳ストレートで机越しに中田に殴りかかり、中田が体をかわすや更に椅子を振上げて同人に打つてかかつたが、他の社員の制止によつて事なきを得た。

ここにおいて、会社は労働協約に定める賞罰委員会の協議決定を経て申請人の右履歴詐称(申請人が十時タツオ又は十時タケオなる偽名を用いて中央大学に入学乃至卒業したことも認められない)並に服務規律違反を理由として同年九月九日申請人に対し諭旨解雇の通告をなしたものである。

二、解雇の効力

会社は申請人の右学歴詐称は就業規則第九十八条第二号にいう「重要な履歴を詐り雇入れられ事情が悪質の場合」に該当し、又その服務規律違反は同条第一〇号の「職場、事業場内において暴行脅迫をし事情の重い場合」に該当するから本件諭旨解雇は当然適法の措置であると主張するのに対し、申請人は本件解雇の解雇理由について解雇権の濫用を主張し更にその解雇手続の違法無効を主張するので、逐次検討する。

(1)  履歴詐称について、

申請人は、自分の方から履歴を詐称して入社したものではなく、寧ろ会社側が申請人採用の特殊事情から履歴書には本当の事を書かない方がよいと云つたところからしても、申請人の履歴書の記載が事実に相違することは会社側において熟知していた筈であり、而も申請人が社員として採用されたのは、会社において申請人の人物を高く評価し、併せて嘱託時代の功労に報いるため採用したものであつて、学歴を重視して採用したわけではないと主張する。そこで先づ申請人採用の経緯につき検討しよう。

申請人は昭和二四年七月始めて被申請会社を訪れ、当時の人事課長岡野祐、人事部長木村滉三に対し自分は占領軍の兵庫県C、I、C、に勤務し私鉄関係の職員の思想調査を担当しているが、会社内部における共産党員の活動を調査したいから便宜を与えられたい旨申入れた。そこで岡野人事課長は申請人がC、I、C、に勤務する者であることを一応調査確認すると共に会社としては占領下のこととて申請人の右要請を拒否することもできず、さりとて部外の第三者が会社内部の調査をすることも困るので、会社は叙上の通り同年八月一日申請人を非常勤の嘱託に採用した。通常嘱託採用に際しては履歴書の外最終学歴についての卒業証明書、戸籍謄本、身上調書、写真等を徴するのであるが、申請人の場合は前記の如き事情があつたため、会社の人事首脳は申請人の履歴身上の如何を問わず同人を嘱託に採用することは避けられないとの考を持つ半面、申請人の特殊重要任務に関する機密保持の必要も考慮して、申請人から一応履歴書を徴したのみで、最終学歴についての卒業証明書その他の正規の必要書類を提出させる手続を経なかつたのである。申請人は右履歴書の提出に際し、本当のことを書かない方がよいと会社からいわれたと主張するのであるが、学歴欄についてまでかかる不実記載を許容していたことを認めるに足る証拠はないのみならず、仮に会社の人事からかかる発言があつたとしても、その趣旨は、叙上経緯に徴し、申請人を嘱託として採用する会社自身の機密保持のためにもC、I、C、関係の職歴を秘しておいた方がよいとの意味に解するのが相当である。このようにして申請人は嘱託として入社し、表面は総務部厚生課に籍をおき乍ら会社の電車車庫等に随時出入して会社の労働組合における組合員の思想動向の調査活動に従事していたのであるが、その頃組合には共産党員並に同調査が相当の勢力を占めており、会社としても共産党が秘密指令により私鉄を攪乱するとの情報を入手して組合並に組合員の動向に対しては特に深甚の注意を払つていた際でもあつたので、申請人の調査活動は労務対策の面で自づと会社の利害乃至方針と共通する要素をもつようになつた。そのため申請人は会社のためにも行動するという役割を演ずるに至るのであるが、接触の度を増すにつれ次第にその真面目で機敏な仕事振りを買われて人事首脳の信任を深め、厚生課健康保険係員で有力な共産党員と目されていた組合員上田徳続の転向についても申請人に負うものとしてその手腕力量を高く評価されるに至つた。昭和二五年一〇月のいわゆるレッドパージの発表の時にはその発表後に予想される事態に備え申請人を秘書課長と共に太田垣社長の自宅に宿泊させて外来者に対する面接応待に当らせた程であつた。

申請人の社員採用については、会社がレッドパージの問題と取組み極秘裏にその計画を進めていた昭和二五年九月頃申請人から岡野人事課長に対し、レッドパージの問題が解決すればC、I、C、の仕事も済むし病臥中の父親を安心させたいといつて社員に採用されたい希望を洩らしており、人事課長からはすでにその頃申請人に社員編入の準備も大体できていることが知らされていた。そこで会社はレッドパージも一段落し且つは土地経営部において清新な人材を必要とするに至つたので、叙上のような関係から、申請人の嘱託時代の功労に報いると共に、申請人に社員としての活動を期待する気持もあつて申請人を同二五年一二月一日社員に起用した。社員採用に当つても会社は嘱託時代の履歴書をそのまま流用し、通常徴すべき卒業証明書等を提出させていない。これは一年余の嘱託時代の間に会社は申請人が中央大学を卒業したものと思い込んでいたことによる。ただ給与について家族手当の関係から戸籍謄本を追加提出させたに過ぎない。ところで会社の賃金体系では、学歴殊に大学出かどうかによつて社員としての身分上、給与上の取扱を異にしていたが、会社は申請人の大学卒を信じていたため、社員としての申請人の賃金格付の決定については、申請人の履歴書に記載されている昭和一三年中央大学法学部卒という最終学歴を基礎としてこれを当時の賃金体系における大学卒業者の格付決定基準に照して係長格を除く最高格即ち昭和一九年入社の大学新卒の社員と同格の七格五号給(月額金一二、七六八円)とし、じ来申請人は大学卒業者としての身分上給与上の取扱をうけていた。

以上のような採用の経緯に照して考えると、申請人の社員起用は通常の大学新規卒業者の採用とは事情を異にし、申請人が大学卒業者であるという学歴を重視して採用されたというよりも、嘱託時代の仕事振りからその能力、手腕力量を認め、且つその功績に報いるという趣旨のものであつた。従つて、申請人が疏明で窺われる昭和九年大成中学校第四学年中退という学歴を持つに過ぎなかつたとしても、嘱託として入社していたであろうし、又社員としても起用されていたであろう。この意味では、申請人の履歴書記載の中央大学法学部卒業という最終学歴は、社員としての採否を決する場合の決定的要因ではなかつたと思われる。しかし乍ら、会社では、その賃金体系において、学歴の如何、殊に大学出身者かどうかによつて賃金格付につき相当著しい差別を設けているのであるから、大学出でないのを大学出と詐つて入社することは、賃金その他の重要な労働条件を決定する規準を詐つたことになる、従つて、申請人の場合、同じく社員として採用されたにしても、又申請人の実力を如何に高く評価して採用されたにしても、組織化された企業秩序並に賃金体系の下では、その評価に自ら限度があり、昭和九年大成中学校第四学年中退という学歴であれば、昭和一三年中央大学卒という学歴の持主に対する賃金格付としては決して雇入れられなかつたであろうし、労務配置、昇進のコース等の面でも相当異なつた扱いをうけていたであろう。この意味では、申請人の履歴書記載の昭和一三年中央大学法学部卒業という最終学歴は、決して軽視されてはいないのである。

ところで就業規則第九十八条第二号(別紙参照)にいわゆる「重要な履歴」には、社員採用の可否を決するような学歴のみならず、賃金格付等の身分上給与上の重要な労働条件の内容を決定する規準としての学歴をも含むものと解するのが相当であるから申請人の最終学歴詐称は、同規則の「重要な履歴を詐り雇入れられたとき」に該当するといわなければならないのであるが、前記のような社員採用の経緯にみられる諸般の事情並に非常勤の嘱託時代においてさえ昭和二四年九月以降は月額一〇、〇〇〇円を給与されていたことを斟酌して考えると、同規則の(イ)にいわゆる「悪質の場合」というには未だ足らないものと解するのが相当である。尤も右の履歴詐称の事実が判明した後同二九年一二月下旬、申請人は中田人事課長から正しい履歴書を提出するよう要求されたにも拘らずこれに応ぜず、却つて同課長に対し次に述べるようないやがらせを行い、履歴問題の追及を断念させるよう意図したのではないかと窺えないではないが、この事があるからといつて遡つて当初の履歴詐称の事実自体が悪質となるものではない。従つて本件履歴詐称は諭旨解雇の理由たり得ないものである。

(2)  服務規律違反について、

申請人は右履歴詐称の事実を同二九年一二月下旬中田人事課長から追及せられ、会社を辞めるか正しい履歴書を提出するかその善処方を求められたのに対し、当初はよく考えてみる、来年三月には会社を辞めて郷里に帰るつもりだと答えていたにも拘らず、その後態度を変え、中田に対しお前の行く所はどこでも押掛けて行つてやる旨の文書を送つたり、一〇月の株主総会には暴れてやるがそれはお前の責任だと告げたり、小林一三宛に中田が会社を辞めなければ五月の株主総会で自分が騷いでやる旨の文書を発したりしていやがらせを行い、履歴問題の追及を断念させようと苦慮しているうち、同三〇年三月一八日中田から「あの辞める問題はどうするのだ。早くしないと困るではないか。」と催促されてこれが処置に窺し、遂に叙上の通り同月二二日会社の人事課長の席で中田に暴言を吐いて脅したうえ、拳又は椅子を以て殴りかかる暴行を加えたものであつて、申請人はその後「暴力の是非」と題するビラにおいて右暴行事件が決して発作的のものでなかつたことを告白している。

申請人はこの点につき、

(イ)  土地経営部内には住宅金融公庫の融資による個人申込の住宅建築或は建売住宅等に関して建築業者の饗応接待が行われ、それがために不良工事が続出し、施主、買主側の苦情が絶え間なかつたが、これは申請人担当の営業係の代金取立業務を加重困難ならしめるばかりでなく、公共性を標榜する会社の企業精神にも反する。そこで申請人においてその粛正を上司に強く要請していたに拘らず、その意見具申は取り上げられないのみか、却て経営陣の更迭以来は後任の中田人事課長からも行き過ぎとして冷評され配置転換を申出ると「動物園の檻に入れ」とまで侮辱され申請人に対し職制の圧力をかけて迫害を加えるに至つた。

(ロ)  中田課長の履歴調査は、申請人を馘にするための悪意に出たものである。

(ハ)  中田課長は学歴相違の事実を知つてからは、まるで鬼の首でも取つたように申請人に対して執拗に辞職を迫つた。しかし会社の一方的な責任で申請人を採用しておき乍ら、労働状勢が変り経営陣が変ることによつて申請人に対する評価を異にし、後任の中田課長が会社自らの負うべき責任には頬冠りし申請人だけを履歴詐称を理由に弊履の如く捨て去り辞職を迫るのは、不当である。

とし、申請人の右暴行脅迫はこれら一連の事実に一貫する中田人事課長の人事権の濫用による不正の侵害圧力に対し自己又は他人(施主又は善良なる株主等)の権利を防衛するためやむなくなした行為であると主張する。

申請人の主張する右(イ)の意見具申についてはこれを理由として中田人事課長が申請人の社外追放その他の迫害を企図した形跡は認められないばかりでなく、この点については漸く昭和二九年三月会社の総務、人事においてこれを取上げて調査することとなり、同年七月にはその調査に基いて土地経営部内の社員の一部を処分し、建築業者の或る者には会社への出入を差止め、不良工事については再修理を命じ、土地経営部内の全従業員には中田人事課長から建築業者の饗応接待等についても自粛を要望する等、咎むべきは咎め、正すべきものは正した。じご土地経営部内における職場規律は著しく改善されて行つたのであつて、申請人は当時中田人事課長の異常な努力を多としていたのであり、右暴行当時に近接する三月一〇日付小林一三宛の手紙においても「土地経営の方はとても良くなりました」と記している程である。

右(ロ)の主張については、申請人が履歴書に叙上の通り最終学歴を詐称していること自体が正しい行為とはいえないにも拘らず自分の非を棚に上げておいて中田人事課長のなした履歴調査を非難することはできない。のみならず、申請人が昭和二八年一〇月中田課長に配置替を申出た際の応答を歪曲して人事課長が動物園の檻に入れといつたといいふらしたり、翌二九年二月には和田社長及び中田課長に対し会社や人事課長を告訴するとの手紙を送つたり、会社が搾取した不当財一億円位を組合員として出させてみせると揚言したり、同年六月には会社幹部の忠言もきかずに会社の機密事項を暴露したビラを、更に同年一一月には組合幹部を誹謗する趣旨のビラを社内配付する等、申請人の奇矯な言行が禍いして履歴調査を招いたことを思うと、学歴詐称のばれたことは、身から出た錆として甘受する外あるまい。又会社側に対するこのような行為によつて、申請人が行き過ぎだと会社首脳からみられることは、やむを得ない。

更に右(ハ)の主張については、申請人の学歴詐称の事実が判明した際中田課長が申請人の入社当時のいきさつを前人事課長等にたゞして適切な認識評価の資料を得なかつたことには、聊さか手ぬかりがあるとしても、中田課長において大学卒という重要な履歴詐称が一応懲戒解雇事由となるものと考え且つ申請人が日頃所属部について意見具申したり会社や組合のこと等を批判していただけにその名誉信用の点にも思いを廻らして、申請人に密かに辞職をすすめることは、強ちこれを責めるわけにはいかない。申請人が当初叙上の通り辞職をほのめかしていたことに徴しても、このことは首肯されるであろう。従つて又中田課長がその後申請人に辞職を求めたことも、申請人のその後における叙上のようないやがらせの手段と思い合せるときは、一応自然の成り行と考えられるのである。又大学卒という最終学歴は叙上の通り雇入れの場合の重要な履歴であるから、その詐称が後日判明したとき、人事課長が正しい履歴書の提出を求めることは、当然の措置である。更に申請人採用当時の岡野人事課長等人事首脳は申請人を嘱託として採用した当初の特殊事情に加えて申請人が履歴書記載の通り大学卒とばかり思い込んでいたからこそ、社員採用の際にも卒業証明書の提出を求めなかつたのであつて、この点に会社側の調査粗漏の点は免れないにしても、それだからといつて、申請人側の詐称の非は聊かも軽減されるものではない。従つて、中田人事課長が申請人の右履歴詐称の事実を突き止めてから、申請人に対し辞めるか、正しい履歴書を提出するか、その善処方を求めたことは、その当時の諸般の状況に照して人事権の行使に著しく妥当を失するものというべきでなかろう。

このようにみてくると、申請人の右(イ)乃至(ハ)の主張を通じて申請人のいう如き人事権の濫用による不正の侵害の事実は認められないから、申請人の前記暴行脅迫を以て自己又は他人の権利を防衛するためやむなくなした行為ということはできないのであつて、結局右暴行脅迫は申請人の致命的弱点とする最終学歴詐称について追及する中田人事課長の職責行為に対して申請人が加えた反撃手段に外ならない。ところで、人事課長のかかる職責行為に対しその職制下にある社員が計画的に叙上の如き暴力を行使することは、それが事業場内の執務時間中であると否とに拘らず、企業の経営秩序を著しく危くするものであつて、到底許されないといわなければならない。従つて、申請人の右行為は就業規則第九八条第一〇号の(イ)但書(別紙参照)の「職場事業場において暴行脅迫し事情の重い場合」に該当し懲戒処分としての諭旨解雇事由に値いすると解するのが相当である。

申請人は同規定にいわゆる「職場事業場内において暴行、脅迫等不法行為をしたとき」とは、これらの罪により有罪の判決を受けた場合に限るのであつて、さもなければ同条第一号(ハ)(別紙参照)の如く刑法上の犯罪により一年未満の懲役又は禁錮に処せられた場合でも最高が降職又は転職であるのに比し、全く均衡を失すると主張する。しかし乍ら、同条第一号は企業体とは関係のない分野において刑法その他の法令によつて有罪判決を受けることによつて社員としての体面を汚す場合を対象とするに反し、同条一〇号は企業体内部における経営秩序の維持を目的とするものであつて、両者はその趣旨範疇を異にするものである。同規定に関する申請人の見解には賛成し得ない。

(3)  諭旨解雇の手続について、

申請人の前記履歴詐称並に服務規律違反を理由とする会社提案の懲戒事案につき、懲戒の可否並にその程度を協議決定する賞罰委員会(労働協約第三五条)には中田人事課長が自ら会社側委員として出席し、事実上会議を主宰する役割を果しているけれども、会社の労働組合が自主性の豊かな労働組合であつて決して御用組合ではないことは、周知の事実であり、これがため委員会に出席の組合側委員が中田課長に威圧支配され事実上その機能を喪失し右中田の云うまゝ何らの審議調査をも経ないで本件解雇を定めたとは認められず、寧ろ組合側委員の強力な発言によつて諭旨解雇の線に落着したことを思えば本件解雇手続を違法無效であるとはいえない。又諭旨解雇は就業規則の規定の上では要するに懲戒解雇より一段軽い解雇処分であつて、退職金を支給する点にその意義があり、就業規則にいう「旨を諭」すという点は重要な要件でないと解するのを相当とするから、必ずしもその旨を諭さなくても右処分としての解雇が無效にはならない。更に本件解雇通知(疏甲第一号証)において、「退職金その他の受領に来社あり度く」といつている「その他」とは、用語稍明確を欠くとはいえ、解雇までの給料、解雇予告手当等を指すことは、申請人が右通知書の日附の翌九月一〇日に土地経営部庶務係米沢正勝に対し、「退職予告手当そんなものを貰う必要はない。」とのメモをことづけていることからも窺われるから、本件においては解雇予告期間にかえて労働基準法第二〇条第一項本文の予告手当の提供があつたものと解するのを相当とする。従つて解雇予告がないとか、行政官庁の認定を経ていないとかいう申請人の主張も採用の限りでない。

(4)  その他の解雇権濫用の主張について、

本件解雇が履歴詐称並に服務規律違反に名を藉りて解雇権を濫用したものとは到底認められない。

更に申請人は本件解雇は会社が岡野前人事課長等の話し合にも耳を藉さずになしたもので解雇権の濫用であるとも主張するが、この点につき、前記暴行後の昭和三〇年四月に岸田土地経営部次長、岡野前人事課長及び林下前組合委員長の三者が会社と申請人との仲に立つて、申請人に転職をすすめ、会社側にも申請人を転職させるとの妥協案を提示したが、会社がこれを不問に付したことが認められるけれども、前記暴行脅迫の事実がすでに諭旨解雇事由に値いすることは叙上の通りであつて、会社が申請人採用当時の岡野前人事課長等の提示した転職処分による解決案を拒否した一事によつて本件解雇を解雇権の濫用ということはできない。

三、結論

これを要するに、本件解雇の事由として会社の主張する事実のうち前叙履歴詐称の点は諭旨解雇としての解雇事由となり得ないけれども、前叙暴行脅迫による服務規律違反の点は、諭旨解雇の充分な解雇事由たり得るものであり、解雇の妥当性が認められるのみならず、解雇手続等においてもこれを無效ならしめるような瑕疵を見出し得ない。

以上の次第で、本件解雇が違法無郊であることを前提とする申請人の本件申請は失当としてこれを却下し、申請費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 木下忠良 黒川正昭 中島一郎)

(別紙)

関係条文

(懲戒事由)

就業規則第九十八条 社員に左の行為があつたときは、各号に規定する範囲で懲戒する。

一、刑法その他の法令に規定する犯罪によつて、有罪の判決を受け、社員としての体面を汚損したとき

(イ乃至へは省略する)

二、重要な履歴を詐り、その他不正な手段を用いて、雇入れられたとき

イ、事情が悪質の場合   最高を懲戒解雇とする。

ロ、その他の場合     最高を降職又は転職とする。

(但し、社員として長年平穏無事に勤務し、成績が悪くない場合は、これを追求しない。)

十、職場、事業場内において窃盜、暴行、脅迫、賭博等不法行為をしたとき、又は喧嘩、口論…………等の常規を逸した行為により、自己又は他人の業務に支障を生じさせたとき

イ、不法行為を行つた場合 最高を降職又は転職とする。但し、事情の重い場合は、懲戒解雇又は諭旨解雇とする。

ロ、その他の場合     譴責とする。

(懲戒の種類)

同規則第九十六条 懲戒を分けて、左の六種とする。

一、譴責     略

二、減給     略

三、謹慎     略

四、降職又は転職 略

五、諭旨解雇   労働基準法第二十条の解雇予告をして旨を諭し解雇する。この場合、退職金の全部又は一部を支給する。

六、懲戒解雇   …………この場合、退職金を支給しない。

労働協約第四十条第一号第二号第十号(懲戒事由)、(同第三十八条懲戒の種類)にも前記各就業規則と同旨の定めがある。

(服務規律)

就業規則第五十一条 社員は、左の各号の一に該当する行為をしてはならない。

十一、職場、事業場内において、窃盜、暴行、脅迫等不法行為をなし、又は喧嘩、口論…………等の常軌を逸した行為をし、著しく風紀を乱すこと、

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